2022/3/27主日礼拝

主の御名を賛美いたします。

2022年3月27日、主日礼拝のメッセージです。

メッセージ 松山 裕牧師

「一粒の麦が地に落ちて」

聖書箇所 ヨハネの福音書 12:20-26
20 さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシヤ人が幾人かいた。
21 この人たちがガリラヤのベツサイダの人であるピリポのところに来て、「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。
22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。
23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。


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2022/3/20主日礼拝

主の御名を賛美いたします。

2022年3月20日、主日礼拝のメッセージです。

メッセージ 松山 裕牧師

「たとえ小さな器官といえども」

聖書箇所 コリント人への手紙第一12:18-27
18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさら尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官はことさらに良いかっこうになりますが、
24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。


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